365歩のマーチ
冷蔵庫で固まったざるそばを、揚げてから時間がたってぺしゃっとしたかき揚げと出したまま放置されていた生温いサラダと一緒に昼食をとりました、13時半。
高いお肉も有名なお店のケーキもいらないけど、食べごろだけはこだわりたい。でも、小さい子がいるとそうはいかないです。もうそろそろ、もうそろそろと思いながら365歩のマーチです。
朝、お弁当を作るときに一緒にかっぺと私の分のおむすびも握っていつでも食べられるようにしているのに、かっぺさんはお腹がすいたとなったら待ったがきかず、おむすびをぱくつき揚げ立てのかき揚げをものすごい勢いで食べ、次は「ねむーい、ねかしつけてくれー」とばかりに叫び続け、今は半目と口を開けて静かになりました。
専業主婦が一番大変、早く抜けたい、よく相手できますよねと知人に言われ、今は産休だけど仕事と両立しているあなたの方が基本ぐうたらの私よりどれだけ立派か、と思うのです。
自意識過剰なのでしょうか、毎日毎日他人と顔を合わせるのが億劫なんですね、私は。
ところで、なぜ女の人だけずっと働き続けていると「ばりばりはたらく」という表現になるのでしょう。夫の口からもたびたびその言葉が出てくるので、こんなわたしでも働いていたら「ばりばり」になるのかしらねー、とつぶやいちゃいました。
みんな大変なんだと思います。でもそれぞれに喜びとか達成感とか充実感とかあるので、ね。
*
友人からの今年のお年賀に「来年は不惑の年だね」と書かれてあって、それから「不惑」が気になって、半年経っても私の頭の中にしっかりと存在している「不惑」。そして来年その「不惑」の年なので、ピアスを開けてみました!って説得力ないです。
一度目は20歳のときに親に内緒で病院であけて、場所がよくなかったのでその後はピアッサーで自分で開けて、教育実習でぶつぶつ言われ初日に外せと言われました。でも外した方が穴がはっきり分かるので、かえって子どもたちにいろいろ言われました。「なんであけたの?」「先生に外せって言われたんでしょう」とか言われて、「なんでだろうね、」「イヤリングは頭痛くなるからね」とその辺まじめな私はきちんと答えていて、中三女子に完全にやられていました。
今回、開けたのは前のが当然もうふさがっているのと、きまぐれです。孔子さんごめんなさい。
今は本当に進んでいて、全く痛くなくてあっという間に開けられるんですね、自分で。しかし、ここにきて自分の耳たぶの大きさ、形、厚さがこんなに違うと知って驚き、結局、右と左で高さも左右も若干異なるところに開けざるを得ませんでした。今までなんで気づかなかったんだろう、不惑イブ年まで....。
さらに案の定、かっぺが気付き、ことあるごとに触りにきます。えーい、さがれさがれ〜。
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コメント
おお!なんてタイムリー!
私も最近すっかり埋まってしまっているのが気になって気になって、
開け直そうかしらん、なんて思ってたのよ〜。
かなり本気で!!
ほんとに痛くない???
投稿: きなり | 2011/07/14 15:43
きなりさん
はーい。全くと言っていいほど痛くないです。それに押すのも力いらずで容赦なくパツンとあきます。音は大きい。
ただ、開けた後一日くらいは気になるのもあって痛みみたいなのがあるかな。
開けちゃいましょうよ同い年!
投稿: rosemary | 2011/07/14 16:18
懐かしい忙しさを、ほほえましく思い出しました。
待ったが効かないチビッコくんたち。
自分の事はすべて[あとまわし]で過ごす、幼い子供との暮らしは、今思えば、訓練?!だったのかなあ~と回想。
食事もトイレもお風呂も、本当にすべて後回しですね。
ちょっと大げさな話をすると、私は男性(女性)が働きに出て収入源を確保し、女性(男性)は家庭にいて家人や子どもの世話をする、という生活が当たり前な[政治]をしてほしい、と常々思っています。
性別はどちらでもいいから、子育てをするには、しっかり家庭をみている成人した家族が必要だと思うのです。
しかしその実現には、国政が示す未来がどうあるか、による部分も大きいので難しいですね。
子どもが居なくなった国→星(地球)はいずれ暮らす人がいなくなる。
子どもの居る生活を存分に楽しめるのは、大変な思いを日々している親の特権。
次、私は「孫」で楽しみたいと今からワクワクしています♪
投稿: qookai | 2011/07/14 19:46
qookaiさん
子を育てた経験がある人は、皆さん必ず通ってきた道なんですよね。そうそうまさに訓練そのもの。自分という人間がはかられているのではないかとも思えます。
ちょうど今、トイレの水を流すことにこだわっていて、ちょっとしたタイミングでそれができないとトイレだろうが廊下だろうか床に這いつくばって悔しがるんです....。ただ、ごめんとしか言えないし、なぜそこにこだわるのか客観的に見ると恥ずかしいくらいなんですけど、そうゆうひとつひとつが経験であり、心を作っていく過程なんだなと思うと軽くも考えられないんですよね。ものすごく責任があるわけです。
だから、それを家族が見て接して育てられる環境というのは本当に恵まれていると私も思います。
以前、福祉サービスのあり方を記した本の中で、子どもを育てるには一ヶ月38万円必要、というのを見たことがあります。
38万も!と思いますが、主婦の労働と一緒で他人に任せるとそれだけあれば満足のいく子育てができるというわけです。それは贅沢なお教室に通わせるというのではなくて、生活とそれに伴うしつけや教育の面でのサポートだけの金額です。
なので、現在は夫なり妻なりおじいちゃん、おばあちゃん誰かがそれを無理無理がんばって担っているのです。かなりの負担を強いられているのです.....。なんか熱くなっちゃいました。
孫の世話をするというのは究極の若返りだそうですよ〜。私は年齢的に無理ですけどqookaiさんはかないそうですね。楽しみですね。
投稿: rosemary | 2011/07/14 22:03